
今年の3月に甲状腺癌の治療を受けた後、担当医から予告されていた放射性ヨード内用療法をこの9月に受ける事になった。
僕は癌治療と聞いても、脱毛だとか痩せるだとかその程度をイメージする知識しか無かったから、イメージの範囲内で何となく怖い気持ちを抱いたまま9月を迎えてしまった。具体的な治療の手順は直前の8月末に説明を受けたけど、実際に治療を終えてみて、予想以上に仕事や日常生活への影響が大きくて、率直に言って病院に対してコンプレインが沢山ある。でも、患者数に伴うあの忙しさや患者側にも多様な生活環境がある事を考えると、説明が行き届かないのも仕方が無い。インフォームド・コンセントという言葉が使われる様になって久しいけど、患者との意思疎通はなかなか難しい問題なんだと思う。
治療のスケジュールは下記の通り。
8/27(木)−28日前:服用中の甲状腺ホルモン製剤をチラージンSからチロナミンへ切り替え
9/10(木)−14日前:甲状腺ホルモン製剤の服用中止・ヨード制限食開始
9/24(木)−当日:放射性ヨードのカプセルを内服・シンチグラフィの撮影
9/28(月)−4日後:シンチグラフィの撮影(放射性ヨードの取り込み具合の確認)
9/30(水)−6日後:甲状腺ホルモン製剤の服用再開・ヨード制限食解除
甲状腺の細胞組織はヨードを取り込む性質があることを利用して、全摘後の取り残しや、見付けられない程小さい転移した癌細胞も破壊してしまおうというのが今回の治療。一定期間ヨードを摂取しないことで細胞を飢えさせておいた所へ放射性ヨードを摂取する事で、ヨードを取り込んだ細胞は数ヶ月掛けて破壊されてしまう。シンチグラフィを見ると、甲状腺を切除したはずの首元に放射性ヨードが取り込まれているのが分かる。
放射性ヨードのカプセルを飲む事や、ヨード制限食には然して苦労は無かったけど、甲状腺ホルモン製剤の服用中止の影響が想像以上に大きくて、これが想定外。考えれてみれば当然だけど、甲状腺機能低下症と同じ症状が生じてしまい、僕は特に浮腫み、寒さ、息切れ、眠気が最終的にはかなり酷くなって、階段の途中で立ち止まる、朝起きられないなど日常生活への影響が大きくて面食らった。職場での大切な時期と重なってしまい、本当に申し訳なく悔しい思いをした。「最終日にはぐったりしている方もいますね」程度の事前説明しかなかったけど、人によってかなり度合いが異なる様なので、少し説明に難しい面があるのかもしれない。
それから、放射性ヨード内服後1週間は、第三者を被爆させない為に休職が必要となる事を直前まで知らずに、この点の説明不足が最も痛かった所。
今回の治療では病院側からの依頼で、「甲状腺癌の放射性ヨード(I−131)内用療法:甲状腺全摘術後の残存甲状腺の破壊(アブレーション) − I−131 30mCi投与・退出における安全管理に関する研究 −」というものに参加することになった。通院で服用可能な放射性ヨードの量は、欧米に比べ日本国内では少量に制限されており、期待した治療効果を得られないという問題があるとの事で、これを諸外国並みの量を内服した上で経過観察するというもの。日本国内の7施設で30例採取するそうで、放射線測定用のバッジと行動調査票を提出する面倒はあったものの、患者にとってのデメリットは無く、治療効果はより高いとの事で被験者になる事にした。
今回の治療では、兎に角直前に判明した事が多くて、連休に連なる形での休職で職場に迷惑を掛けた事が悔しいけど、反面、体調面では、時期がシルバーウィークと重なったことで救われたという思いもある。毎朝飲み続けなければならない甲状腺ホルモン製剤も、服用を止めたらどうなるのか身をもって経験出来たのも貴重だった。大きな災害等で薬が手に入らなくなったらと思うと、ちょっと怖いけど、何が起こるのか知っているのと知らないのでは雲泥の違い。
甲状腺癌を患った後、全摘手術を受けて、今のところ腫瘍マーカーは測定不能なレベル。念押しで今回の治療を受けて、10月末に最後の担当医の診察を受ければ、予定されていた治療は全て完了する。
--
そう言えば、この休職期間中は外出が禁止されたのもあって、丁度良い機会だからSRのフロントフォークをオーバーホールする事にした。硬いオイルで酷使していた事もあって、オイル滲みが酷くなっていたし、特殊工具も必要なメンテナンスなので、プロに任せるべくTechnixさんに送付済み。休暇に入って直ぐに預けたけど、連休で仕事が溜まっているのか、まだ返送待ち。
プロの仕事でどんな仕上がりになるのか、ちょっと楽しみ。


つい一週間程前に急に思い立って、夏休みを取る事にした。職場からは2日間支給されるけど、先週の土曜日に休日出勤をこなして、7月29日から土日を含めて5日間。直前過ぎて宿の予約が無理そうだったから、僕の両親が暮らしている北軽井沢まで足を運んできた。

ここは浅間山が近くて、オートバイ乗りとしては浅間記念館に立ち寄りたくなるけど、到着後も生憎の空模様だったから、特に予定も立てずにのんびり過ごす事に。高地なのもあって、雲の中にいる様な湿度だったけど、気温は21度位と、東京に比べて随分と涼しかった。

両親の自宅から一本道を下ると、湧き水のある谷間の渓流があって、肩にカメラを下げてサンダルで散歩。この辺りでは、農作物の運搬を大きなトラクターで行っていて、歩いていると突然目の前に現れて吃驚する。ちょっとハワイ辺りの農場風情。

舗装路ばかりではないので、雨の日の足元には要注意。トラクターが作った轍は水溜りに。仕方なく僕は草の上を。

この時期、方々の畑では玉蜀黍が大きく育っていた。猪が畑を荒らすらしく、電流柵で囲ってあったりする。畑の脇を歩く時には、違う意味でも足元に要注意。

夏休み2日目の7月30日。予報は終始曇り時々雨だったけど、朝目覚めれば快晴。折角の晴れ間だから、朝一で軽井沢町にあるハルニレ テラスへ出掛けてみた。

碓氷軽井沢で高速を降りてから、北軽井沢へ登ってくる道すがら、随分賑わっているのを見掛けて、到着後にネットで調べたら、ここは7月にオープンしたばかり。レストランやカフェ、雑貨店なんかが集合した施設だけど、場所そのものがデザインされているから、随分と居心地が良い。


規模は小さくて、端から端まで歩いても1分30秒位じゃないかと思うけど、ちょっとコーヒーを飲んだり、食事をしたりするにはとても素敵な場所だと思う。GWや夏休み以外は駐車無料だから、近所の人がふと立ち寄るのに向いていそう。

一通り雑貨店なんかも覗いて、一番気に入ったショップがFlashpointさん。置いてある雑貨や家具はどれもデザインと機能性が高度にミックスされていて、眺めて触れるだけで刺激になる。こんなモノ達に囲まれて暮らしたら、さぞ幸せだろうなと夢想しながら。

今回はSCENIC納車後の初の遠出だったけど、高速では余りの快適さにニヤニヤしながら走行。何しろ真っ直ぐ走るから、修正舵は殆ど要らないし、低速ではマナーの悪いATも、スパッと小気味良く変速してくれて気持ちが良い。側面積が大きい割りに、大型車に追い越されても外乱を起こさないし、視点が高い位置にあって、サスペンションも鷹揚に上下するから、クルーザーに乗っている様な気分。PUNTOと比べれば、疲労感は無いに等しいから、何処へでも走っていけそう。

ハルニレ テラスから戻っても、まだ快晴は続いていて、勿体無いから両親と一緒に近くの滝を観に行く事に。

余り知られていない場所だから、他に来訪者は無し。駐車場から歩いて10分程で立派な滝に到着。肩に下げているカメラを保護しつつ、マイナスイオンを浴びて、暫し落ちる水を眺める。ちょっと打たれてみたいななどと。


.jpg)
.jpg)
遊歩道には古い樹木や草花が。何の知識も無いから、どれが雑草なのやら珍しいのやら判らないけど、雑事を忘れてゆっくりと歩くのは何よりの癒し。こんな場所がもし近所にあれば、定期的に来たくなるんだろうな。

今回はD80にTAMRON SP AF17−50mm F/2.8 XR Di II LDをセットして持参してみたけど、こういった小旅行には、広角寄りのズームレンズがマッチするらしく、とても快適だった。

両親の自宅のテラスからは谷間が眺められるから、コーヒーを飲むにも煙草を吸うのにも、一々テラスへ出たくなる。まあ昼間だけの話で、夜は大量の蛾が寄ってくるから、窓を開くのも億劫に。夜は冬が良いのかも。

最終日の7月31日は、のんびりと15時過ぎに東京へ向けて出発。午前中にはクルマで通り過ぎるだけだった近所の町並みを眺めつつ散歩。


色々なものが寂れていて、でも生活の匂いもしているのが面白い所。遠くからゴミ袋を提げたおばちゃんが歩いてきて、何処へ行くのかと思ったら、只のゴミ出しだった。東京の様にそこら中にゴミ集積所がある方が異常なんだろうね。

金曜日の高速は然して渋滞もせず、3時間程で自宅へ到着。高速走行も渋滞の疲れもなかったから、帰宅して直ぐに近所のGSでSCENICを洗車。室内の掃除までして、小旅行を終えた。

翌8月1日は、毎年自宅近くで開催されている大きな花火大会へ。いつもは自宅から通りへ出て少し眺めて、後はエアコンの効いたリビングでTVの生中継を観るだけだけど、今年は初めて会場へ足を運んでみた。隅田川や横浜の様な異様な混雑は無いものの、それ相応の人出。交通規制ギリギリのエリアまでスクーターで乗り付けて、後は皆と一緒に川原を目指す。出店禁止の立看板の目の前に陣取った露店からは、胃を刺激する匂いが。

勝手も分からずに到着したエリアは、打ち上げ位置からはかなり遠くて、適当な斜面に座ったら、首を右に曲げたまま眺める事になってしまったけど、それでも音と光の夏の風物詩を存分に味わった。近くの席では、花火そっちのけで浴衣姿の女の子にビールを勧め続けている男の子達。
若いって素晴らしいね。
良い夏休みでした。


今日は久し振りに銀座へ。5月のデザイン・フェスタで出会って、すっかり気に入ってしまった油彩画家、青柳紀幸さんの個展を目当てに、日比谷から銀座までぶらぶらしてみた。

3連休の中日でもあり、銀座の中央通りは相当な人出。おまけに最高気温33度の真夏日で、歩行者も顔を顰めつつ、上気させつつ各々の目的地へ。

日比谷に到着したのは、丁度お昼過ぎだったから、青柳さんの個展が開かれているギンザ幸伸ギャラリーに向かう前に、日比谷のガード下に6月にオープンした「THE BEAT DINER」で腹ごしらえ。そう言えば、2月に写真展を見に行った時にもハンバーガーを食べたっけ。


実は連休初日の昨日のお昼もハンバーガー。地元に去年の11月にオープンしたショップで、写真右のメキシカンバーガーを食べて、今日は今日で写真左のパインバーガーをチョイス。本郷の「FIRE HOUSE」程洗練されていないけど、どちらも相当に美味しいと思う。「THE BEAT DINER」は、バンズも付け合せのポテトもカリカリなのが特徴。結構ヘビーで、食べ終わると胃がグッと重たくなる。
腹ごしらえを済ませた後、炎天下、重たい胃を引き摺って、今日の目的である個展『- 星空にパリの町 -』へ。
BARNEYS NEW YORKの真向かいにあるギンザ幸伸ギャラリーは、30平米程の小さな空間なので、絵画展などに行きつけないと、ちょっと入場を躊躇ってしまう。でも、自宅のリビングに飾っているポストカードの原画をどうしても観てみたくて、思い切って入場。「すいません、画を見せていただいても良いですか?」
入場すると、早速、青柳さんご本人からご挨拶いただいて恐縮。一頻り画を見回った後で、15分間位雑談させてもらって、益々ファンになった。キャンバスに描かれた実物は、ポストカードでは到底伝わらない味わいがあって、いつまででも眺めていられそう。絵画に嵌るなんて事は生まれて初めてだけど、柔軟でユーモアがあって優しさと決意があるその作品は、本当に魅力的。全ての作品は販売しているとの事で、既にポストカードでしか鑑賞出来ない作品が沢山あるそう。
会場には、数ある中でも僕が気に入っていた「こもれび」や「三日月の夜に」も展示されていて、喉から手が出る位欲しかったけど、それなりの価格だから即断は無理。とても気さくな方だけど、きちんと画を描く事で生計を立てている、本当の画家さんなんだと改めて実感。余りに有名になる前に、一枚は手に入れたいな。
次回の展覧会のお知らせを送ってもらうために記帳をして、B1Fで開催されていた絵本展を少し覗いてから会場を後に。何となく清々しい気分でビルから通りへ出たら、目の前に狸の置物。ビル1Fの古美術店が歩道に置いたんだろうけど、縁起を担いでいるのか、単に要らないのか。
偶に銀座を歩くのも楽しいね。


今日仕事から帰ったら、Amazon.co.jpで予約してあったRIP SLYMEのニューアルバム「JOURNEY」がポストに届いていた。
先日、リビングを模様替えして、20年選手のスピーカーとオーディオアンプを撤去してしまったので、取り敢えず、iTunesでAACに変換してメモリースティックへ転送。PSPに差し込んで、SENNHEISERのインイヤーヘッドフォンで聴く事に。ちょっとおかしなスタイルだったけど、相変わらずの楽曲の素晴らしさで、至福の50分間。
僕はRIP SLYMEのメロウな部分が好きなので、今回のアルバムでは、6.Journey → 7.love&hate、12.STAIRS → 13.Beauty Focus が好み。PSPをポケットに突っ込んで、ベランダに出て一服しながら遠くの景色を眺めてたら、6.Journey が余りにもハマッて、ちょっとニヤリ。最高に癒される。
絵とか音楽とかで癒されつつ仕事を乗り切って、今年の夏は海に出掛けたいな。

先日のデザイン・フェスタで出会った青柳紀幸さんの絵。久し振りにビビッと感じるものがあって、僕の好きなものがまた1つ増えた嬉しさ。早速、ポストカードを16枚セレクトして発注していたものが、やっと手元に届いた。
週末に近所の100円ショップへ出掛けて、ポストカード用のポケットを購入。それにしても、最近の100円ショップには何でもあるね。壁に細い釘を打って、早速ディスプレイ。離れて見ても、通り縋りに近づいて見ても、スーッと癒される。
最近、仕事で疲弊気味だけど、この絵を眺めて気分を切り替えつつ乗り切れるかな。
2009年7月14日(火)〜7月19日(日)
『- 星空にパリの町 -』 青柳紀幸 個展 銀座幸伸ギャラリー

ここ最近の週末は何かしら外出しているけど、今日は気紛れに「アートイベント デザイン・フェスタ」へ足を運んで来た。
若い頃は、WEBデザインやPV制作、インディペンデントの演劇や映画等々、ありとあらゆる物に首を突っ込んでいて、人のネットワークも多種多様だったから、デザイン・フェスタには出展する側で関わった事もあったけど、今は昔のお話。久し振りに足を踏み入れて、終始、何となく懐かしい思いで各ブースを見回った。
作品も人も、活気があったり不安気だったり、ノリだったり計算だったり、表情が明るかったり暗かったり怖かったり。いずれにしても、クリエイティブな事に関わっている人は、勤め先の人間なんかとは相が違っていて、僕としては羨ましくもあるけど、相変わらず、行く末を心配してしまう様な出展者も。決意とチャレンジだけじゃなくて、自分から大きな外側へ発信する意識が高い作品や人は、見ていて凄く気持ち良い。










今日は終始曇り空で、気温も20度そこそこ。久し振りに厚着をしたつもりが、ビッグサイト特有の海風にあたっていたら、ちょっと凍えてしまった位。でも、会場内は人の海で、あっという間に汗が噴き出した。午後2時頃に到着したからか、どちらかというと見る側に熱気があって、出展者は皆、少々お疲れモード、あるいは空腹モード。ブース内で一心不乱にパンを頬張っている姿は、あなたの作品よりずっと面白いですよ。










会場を一頻り歩いてお気に入りの作品を探したけど、今回は少々少なめで3件程。その1つが、京都から出展していた「クアトロガッツ」さん。鞄やアクセサリー等の革細工屋さんで、僕はバッグや財布のデザインセンスを一目で気に入った。商品を眺めていたら、店主さんと思しき人がスッと近付いて来て、さり気なく素材や製法について説明してくれたけど、何となく僕と波長が合うというのか、厚かましさは微塵も感じさせず。その人柄も気に入った。思わず財布を衝動買いしそうになったけど、寸での所で我慢。ブース内ではヘビ皮ブレスを実演販売。財布は諦めたけど、革を人の形に打ち抜いた携帯ストラップが余りにも可愛かったので購入。金色の人形ストラップは良い縁を呼びそう。D80に付けて置く事にした。










もう1件、最高に気に入ったのが「けいすけ」さん。主にパグとかフレンチブルドッグなんかの鼻ぺチャ系の犬と、時々オートバイを登場させるイラストレーターさん。ポスターやステッカー、缶バッヂの携帯ストラップなんかを大量に展示していて、暫く座り込んでお気に入りを物色。散々迷って、A3版のポスターと缶バッヂストラップを購入。本人に尋ねたら、「それよく訊かれるんですけどね、、犬は飼ってないんです」。
けいすけさんもクアトロガッツさんと同じく京都の方。僕は京都の人と波長が合うのかしら。ブログに「なんだか夏までにバイクが買えそうな気がする〜。」って書いてあるけど、是非引き続き頑張って買ってください。
もう1件、青柳紀幸さんという画家の作品を一目見て気に入ったんだけど、不覚にも帰る前にブースに寄り忘れてしまった。僕の想う理想の世界を絵にして提示してくれる様な、そんな画家さん。ネット販売の委託先サイトで作品を見る事が出来るけど、改めて見ても凄く気に入ったので、ポストカードを購入しようかと思う。
一頻り見て回って、最後にTシャツを買い足して会場を後に。多分次回も足を運んでしまいそう。


SRの話ではなく、僕自身のお話。
--
首元の腫れ
確か5、6年も前から、右手側の首元がかなり大きく腫れていた。位置から考えて甲状腺の異常である事は直ぐに分かったけど、見付けた当時も1年間位は医者に掛かるのを渋っていた気がする。何と言うか、大人気無いけど、病院という場所は生理的に苦手。それでも、こぶし大の腫れを放置する訳には行かず、最寄の大学病院へ検査を依頼。結果、腫瘍は良性であって、甲状腺の機能自体にも何の変化も無いから、”邪魔なら”切り取ってしまえばいかがですか?結局、機能に異常が無いのなら、身体にメスを入れるのは気が進まないからとそのまま様子見。年に1度は継続して受診した方が良いとアドバイスされた事はすっかり忘れて、何でもない何でもないで生活してきた。2008年の夏過ぎ頃から、何となく身体がだるくて、仕事に集中出来ない感じがし始めた。本当はもっと以前から症状はあったのかもしれないけど、徐々に変化する事柄には気付きづらいもので、甲状腺の、今度は左手側に固いしこりが手に触れる様になって初めて、体調の変化にも気付いた次第。
甲状腺癌の診断
勤め先からも近い表参道に、伊藤病院という甲状腺専門の有名な病院がある事は以前から知っていた。切らずに直す方針と聞いていたから、淡い期待と共に、2008年の11月中旬から通院開始。あらゆる検査を行って、12月5日に甲状腺癌(乳頭癌)との診断を受けた。既にかなり進行していて、甲状腺付近のリンパにも数箇所転移していそうだった。切らずに済まなくなった。伊藤病院の外科手術は8ヶ月待ちだそうで、西新宿にある東京医科大学病院に転院。あらためて必要な検査を受けて、入院日が2009年3月9日に、手術日が2009年3月10日に決まった。一応、勤め先にはすべての経緯を報告。加入している入院保険にも事故を申請しておいた。
入院待ち
癌だと言われて3ヶ月以上も入院を待ちながら仕事をするのはそれなりにシンドイ。患部が首元、リンパでもあるから、実際に体調も悪い状態での勤務。夜の寝付きも悪くなった。環境が許せば自宅療養でもしたかったけど、とてもそんなご身分では無いので、我慢したり勤務時間を調整したりして何とか手術まで漕ぎ着けた。キャンセルが出れば手術が前倒しになると聞いていたから、その幸運だけを頼りにしていたけど、結局予定の3月まで待つ事になった。
3月6日の金曜日に社内で必要な手続きを済ませて、1ヶ月間の休職前の勤務を終了。正直、全身から力が抜けてしまう位ほっとした。その日の帰り道ではSRに話し掛けながらゆっくり走った。過去1,000日以上、雨でも雪でも毎日SRに乗っていたけど、手術後直ぐには乗れないからね。
入院当日
入院当日の3月9日月曜日。入院のしおりに書かれてあった通り、前日までにスーツケース一杯に1週間分の荷物を詰めておいた。AM9:40までに入院受付を済ませるように指示されていたけど、病院へ到着してみれば、大勢が受付待ちで並んでいて、閉店間際の銀行宛ら。AM10:00を回った頃に10階にある入院病棟へ漸く移動。予約の時点から6人部屋に空きが無くて、5,250円/日の4人部屋に割り当てられた。ラッキーなのか配慮頂いたのか、窓際のベッドだったから、東京都庁やHilton Hotelが目の前に聳えていて、かなり眺めが良い。入院当日は食事制限などは無くて、ちょっとしたバカンス気分。ただ、利き手の手首に嵌められた、自分の氏名とフリガナ、入院病棟、IDの印字されたタグが目に入った時だけ、兵士か囚人の気分。これまで風邪位しか経験が無くて、入院生活がどのようなものかピンと来なかったけど、兎に角待ち時間が多い。投薬にしろ外科的な施術にしろ、身体の反応や回復状況を観察する為の時間が入院だから、まあ、そういうものなのだと思う。時間をどう過ごすかは段々に上手になるけど、当初は面食らう事になる。
手術
入院翌日の3月10日火曜日は、15:00から手術予定。前日の晩に、担当医と麻酔医、手術室担当の看護師などから懇切丁寧に事前説明を受けた。事前説明なので、手術の結果起こり得る“最悪の事態”までが説明される。そうでなければ意味がないけど、でも、やはり気が竦んでしまう。僕の場合、癌が広範囲に飛び火している甲状腺全体の摘出作業に、癌化した多数のリンパの切除作業が加わるから、手術時間の見積もりは4時間。甲状腺の裏側にある米粒大の臓器、副甲状腺を4つのうち幾つ残せるか、声帯を動かす反回神経の周囲が癌にどれだけ侵食されているかによって、作業に必要な時間が変わるとの事。担当の先生は、“あくまでも終わるまでやります”とのことで、甲状腺周りの手術では最も大きな規模の手術になる。全身麻酔で行われると聞いて、僕は少しほっとしていた。
終了時刻未定の手術のために、当日の最終回の手術枠だったから、午前中からの他の手術に押されて、手術室に入るのが1時間程遅くなった。朝から飲食が禁止されていたので、手術に備えた点滴を受けながら静かに待つのみ。当然、点滴を受ける事すら生まれて初めて。看護師さんの「手術の準備が出来ましたので、そろそろ行きましょう」の声で車椅子に乗る。手術室にはグラウンドレベルまで開いた出入口は無くて、車椅子で到着すると、壁に開いた横方向に長い穴(200cm×60cm位)から差し出されたグリーンの台の上に横にならされる。所定の位置へ仰向けになると、その台が動力によって“あちらの領域”へ移動して行く。患者の身体が手術室内へ移動完了すると、載せられていたその台は格納されて背中から消えてしまうけど、身体は地面に落ちる訳ではなく、手術用の寝台に落ちた格好になる。そこからいよいよ手術台へ移動。昭和のドラマで良く観た様に、目の前を蛍光灯や手術灯が通り過ぎて行く。寝台が止まると、大勢の医療スタッフのマスクを着けた顔が入れ替わり立ち代り現れるけど、誰が何の担当なのか全く分からない。皆口々に何事かを確認し合っている。口元にシューっと小さな音のするマスクを被せられて、途端に気持ちが閉塞する。まるで、巨大バッタの群れに襲われている絶体絶命の芋虫の気分。芋虫に気分があるかどうかは知らないけど。指向性の無い声質で、麻酔医から声が掛かる。
「それでは麻酔を入れていきます。そのまま呼吸を続けてください。次に目が覚めたら手術は終わっています、、、」
「、、、終わりましたので起きてください。終わりましたよ。」
目が覚めると、執刀してくれた担当の先生の顔や、その他何名か医療スタッフの顔が覆い被さっていた。記憶が定かでないけど、鼻から何かしら挿管されていたものを抜かれて、気持ち悪いなと感じた気もする。
「全部取りました。気管切開もありません。どうぞ安心してください。」
声帯を動かす反回神経が左右両側麻痺した場合には、気管切開の必要があったので、ぼんやりした意識ながらも、心の底から安堵した。後から聞けば、手術に掛かった時間は6時間との事。今回の手術では胸管を損傷した為に、乳び漏という症状を防止する目的で1週間の禁食が必要になった。
手術後
ベッドで自室に戻ると、その晩は、口の中の渇きと、寝たきりの無理な姿勢との戦い。手術から2日間は禁飲食で水すら飲めないので、手術直後は看護師さんに口の中をガーゼで拭いてもらうのみ。ただ、気休めにしかならずに、直ぐに口の中はカラカラ。ベッドは僕には小さくてパッドも柔らか過ぎるから、寝ている姿勢が本当に苦しかった。その晩は睡眠剤が点滴されていたものの、何度もナースコールを押してしまった。翌朝目覚めて、意識が回復するごとに、身体に何箇所かチューブが入っていたり、そのチューブからのドレインを受けるバッグが吊るされていたり、点滴されていたりという状況が分かってくる。午前中に担当の先生が来て、尿道に挿入されていたカテーテルを抜いてくれた。これは大変に気持ち悪いので、もう二度と御免。手術した部位に痛みは無くて、トイレにも自分の足で行けるけど、数日間は排尿の時に顔が歪む位痛いので、尿意=憂鬱だった。
その後、飲水が許可されるまでは、時間との格闘。入院に備えてPCとDVD、読みたかった本などを持ち込んでいたけど、とても観たり読んだりする気分になれない。辛い時に観るのならと敢えてそうしたのだけど、重たい作品ばかり持って来たのは大失敗だった。手術後2日間程は昼も夜も半醒半眠。眠ったり起きたりだけ。少し動ける様になった頃に、地下の売店へ出掛けて、気晴らしにクルマ雑誌を買ってみたら、これが思いの外フィットして少し快適になった。TVも少しずつ楽しめる様になった。入院中に重いテーマはダメらしい。無理してあの「Easy Rider」を観たら、気持ち悪くなっただけだった。禁飲の解除
手術後3日目の3月13日。曜日の感覚も薄れた金曜日、禁飲食から禁食へ変更された。水が飲めるだけでこんなに幸せかと思った。むせが出るとマズい状況だったけど、それもなく、無事回復のステップを上がる事が出来た。ただ、日に3度の食事ごとにひもじい思いを味わうのは変わらず。まあ、仕方ないけど。
病院内での時間の過ごし方も少しずつ上手になった。AM6:00過ぎの検温と血圧測定と採血が終わって、その日1度目の点滴へ交換した後は、片手で点滴台を押しながら、他方の手に雑誌を抱えてエレベーターホールにあるソファーへ。ここが一番暖かくて静か。面会は15:00からだから、この時間帯なら誰にも邪魔されない。雑誌に飽きたら部屋へ戻ってお昼前のTVニュースで情報収集。まあ、あまり面白くはない。その後、窓の外の働く人々を眺めていれば、大体、お昼の検温と血圧測定。午後は自然と眠くなるから、そのままシエスタ。首に負担が掛からない様に横になるのにも慣れた。昼寝から目覚めたら、この入院日記を付けたり。僕の病棟は短期入院専用なので、こんな日々を送る間にも、同室からはもう3名退院済み。病状もサイクルも違うから、特に羨ましくは無いけどね。僕と同じ病気の医大生がいて、昼間少し話したりして気が紛れたけど、入院経験を活かして良い医師になって欲しいと思う。入院経験の無い医者なんて沢山いるのでしょう。
禁食の解除
手術から丸々1週間経過した3月16日の月曜日。とうとう禁食も解除された。と言っても、この月曜日の3食はゼリーだけ。ゼリーというのは、所謂ゼリーじゃなくて、凄く固い牛乳プリンみたいな食べ物の事。一口目の美味しさといったら説明出来ない位。こんなの普段食べたって「マズっ」で終わりでしょう。物が食べられるっていうのは、実は凄く有り難い事なんだろうね。翌日の3月17日にはゼリーからお粥に変更。南瓜の煮物や鳥そぼろ等のおかずも普通に付いて来た。乳び漏のテストのために牛乳やヨーグルトなどの乳製品も付いて来る。食べ終えればお腹一杯で、少し苦しい位。これで漸く人並みに回復。患部である首元左右に挿入されていたドレインチューブも、火曜日に右手側が抜かれた。痛みはなかったけど、とてもストレンジな感触で、左手側も抜かれると思うと憂鬱。
退院の日付も3月19日の木曜日と決まった。TVでは黄砂が観測されたと言っている。帰宅したらSRを洗ってあげないと。
退院
予定7日間、結局は11日間に延びた入院生活をやっと終えることが出来た。首元左手側のドレインは、前日の夕方に抜いてくれたけど、こちらは特に嫌な感じがしなくて得した気分。点滴用のアダプターも、昨晩の最後の点滴後に外された。身体に繋がっていたチューブが取り払われると想像以上に活力が蘇って来て、10日振りに髭を剃ったり、爪を切ったり、身の回りを整理したりとそわそわしてしまった。TVカードの払い戻しや、入院費用の支払いなど全てを済ませて病院の外に出る。病院内は一定の気温に保たれていたけど、久し振りに外気に当たって、風を感じて、余りの暖かさに浦島太郎の気分。あとで知ったのだけど、今日は夏日だったんだね。
退院したらそうしようと予定していた通り、東京医科大学病院の真ん前、新宿アイランドタワーにあるBERGER KINGで、ひっそりと退院祝い。久し振りのジャンクフードが、生きていることを実感させてくれた。
〜甲状腺癌を患っている方へ〜
僕と一緒に入院していた医大生も話していたけど、甲状腺という臓器の専科は無くて、この臓器に関する病気について専門に扱う医師や医療機関が非常に少ないらしい。医学部のテストに甲状腺に関して出題される事はまず無いそう。僕の入院した東京医科大学病院は紹介制なので、甲状腺外科の患者はその多くが東京表参道の甲状腺専門医院である伊藤病院で外科治療が必要と判断された方々。甲状腺という臓器は幸いにも全摘出が可能なのもあって、例え悪性の腫瘍が生じても一般外科で治療してしまう事が多いらしいけど、首元の手術になるので、専門医に言わせれば大変デリケートな技術が要求されるとの事。僕は今回、素晴らしいスキルによる手術を受けたけど、それでも右腕を真横に持ち上げる動作に若干の麻痺が出た。つまり後遺症をそれだけに抑えて頂いたという事。小さな腫瘍の取り残しや、各種の神経を傷付けた事による後遺症を防ぐには、やはり専門の医師を受診するのが最善だと思う。僕も数年前に一般の大学病院で診察を受けて、数年後に専門病院で癌を見付けてもらう形になった。特に僕の様に病状が進んでしまった方には、無理を押しても専門病院へ掛かる事をお勧めします。
※追記:2009年9月に放射性ヨード内用療法を受けました。
--
明日は黄砂で汚れっ放しのSRを洗車しようかな。


先日、偶々TVでセロテープアート展のニュースを見掛けた。セロテープをくちゃくちゃと丸め続けて造形する独特の製作過程と完成した作品のギャップにやられてしまい、各地で2月の最高気温を更新した今日、SRで出掛けてみた。
開催中の練馬区立美術館までは自宅から15分程。12月18日から2月15日までが会期で、毎週土曜日の14時から15時半まで”アーティストトーク&デモンストレーション (セロテープアートを体験できます) ”のイベントが開催されるから、つまりは今日が最後のチャンスという訳で会場は大入り。老若男女問わず、皆セロテープ片手に作家の瀬畑亮さんの話に興味津々。
この瀬畑亮さん、6歳の頃からセロテープを丸めて造形する事を続けてきたそう。常識的には”もったいない”の一言で矯正されてしまいそうだけど、周囲が理解があったのか、寛大だったのか、はたまた芸術家狙いだったのか分からないけど、兎に角アートとして成立するまでになったという事らしい。
製作過程は子供の頃から変わらず、何も計画せずにセロテープを丸める所から始めるとの事。デッサンとか設計図とか、そういった物は一切無く、感じるままに創り上げていくそう。そうやって完成した作品はどれも有機的且つ抽象的。見る人によって好き嫌いがハッキリ分かれると思う。
瀬畑亮さんはセロテープの製造販売元であるニチバン株式会社の後援の下に活動していて、「セロテープアート」「セロハンテープアート」はニチバン株式会社が商標登録したそう。ちなみに今回美術展の開催された練馬区立美術館は、ニチバン株式会社の東京工場跡地。
会場ではニチバン株式会社から来場者へ惜しげもなくセロテープが配布されていて、僕も6つほど貰って、その場でも少し瀬畑さんの真似をしてみたけど、とてもあんな滑らかな作品は作れそうに無く。
自宅に持ち帰ったセロテープ、普通に使って3年位は持ちそう。





















![SHOEI:ショウエイ/FREEDOM [フリーダム]](http://w1.webike.net/catalogue/10341/w-sho-139s.jpg)

























